今回はリオ・グランデ・ソ・スル(南大河)州の移民の歴史を中心に掲載していきます。
最初のドイツの移民家族が南大河に到着したのは1824年で、
サン・レオポルド(São Leopoldo)と言う小さな町でした。
そしてその100年以内 に25万人のドイツ人がブラジルに移民して来ました。
その移民先の殆どが、南大河州であり、その隣州のサンタ・カタリーナ州でした。
南ブラジルでのドイツ語の話し手の殆どがウンスルキッシュ(Hunsrückisch)の方言を話しますが、
それは当地では普通にその訛ったドイツ語が使われるようになっていたからです。
今でも何百万人もの人がまだそのドイツ語を話していますが、
恐らく、ドイツのウンスルキッシュ(Hunsrückisch)で話している
ドイツ語とはまた違う言葉になっているでしょう。
それはウンスルキッシュ(Hunsrückisch)ドイツ方言が180年の歴史において、
ブラジルの公用語であるポルトガル語や同じドイツの違う方言、
更には例えば移民の多いイタリア語などの影響を受けて来たからでしょう。
タリアン(Talian)とは世界のほかのどこにも話されていない独特のブラジル・イタリア語です。
南大河のタリアンの出現は特定のイタリア方言を喋る人々が極めてコンパクトで特定の地域に集中して、
入植したことによるためだと思われます。
タリアンはしばしば、ヴェネット(Vêneto)と呼ばれていますが、
それはタリアンが極めてイタリアのヴェネチア人の話す言葉に近いからです。
(次回に続く)
※写真はサムネイル左からブラジル・カウボーイのガウーショの像、ガウーショが好んで飲むマテ茶、
そのマテ茶を飲む道具シマロン、Farroupilha の教会の聖所、
そしてアクティブ画面はMorro Osórioの光景です。







